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 経営コンサルタント歴40年のキャリア。「コンサルタントのためのコンサルタント」  お節介焼きを信条とし、グローバルな視点で、経営者・管理職の立場に立ってお手伝いします。

【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 中尊寺大賀古代ハス 築山泉水回遊式庭園

  

 【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 中尊寺大賀古代ハス 築山泉水回遊式庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 中尊寺大賀古代ハス

 1950(昭和25)年に、中尊寺金色堂内におさめられている藤原氏の遺体4体が学術調査されました。その際、第四代泰衡の首桶から、80粒ほどハスの種が発見されました。

 当時の調査委員であった大賀一郎博士や門下の先生に、この種の栽培を依頼したところ、1993(平成5)年に発芽しました。1998(平成10)年には、開花にも成功しました。

 このハスは和蓮の一種で、花弁は淡い紅色、やや細身で「中尊寺ハス」と命名されました。「古代ハス」とか「大賀ハス」とも呼ばれます。

 2011(平成23)年3月に東日本大震災が発生、2012(平成24)年、犠牲者への鎮魂と復興推進のシンボルとして、極楽浄土に咲く花「中尊寺ハス」を広めることを目的とした「復興の花中尊寺ハスを広める会」(事務局:岩手県商工会議所連合会)が設立されました。

 この「復興の花中尊寺ハスを広める会」の株分け第1号として、2012(平成24)年、藤原氏に縁の深い安倍館町の保護庭園「一ノ倉邸」に移植されました。同年6月下旬から花芽が出始めて、7月7日に咲き始めました。爾後、毎年7月から8月にかけて開花するようになりました。



■ 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 築山泉水回遊式庭園

 「一ノ倉邸庭園」(いちのくらていていえん)は、盛岡市保護庭園の一つで、市街地北方2km強ほどの所にあります。敷地面積は約2600坪もあり、約145坪の木造平屋造、数寄屋風の建物には大小もの和室に加え、畳敷きの玄関や廊下等があり、畳数は140畳に及びます。欄間などの材料も吟味されていて、当時のしっかりした造りが伺われます。 

 明治後期に盛岡出身の貴族院議員や東京府知事を歴任した阿部浩氏の別邸として造られたお屋敷と築山泉水回遊式の庭園とで構成されています。現在は庭園に水が入っていない枯れ泉水ですが、東京から庭師を招いて造られたものです。かつては中島が3つ浮かぶ池泉式の庭園だした。

  また園内に植えられているモミジは京都の高雄から取り寄せたもので、樹齢100年以上の12種類の「イロハモミジ」が燃えるように紅葉します。これにアカマツなどの針葉樹が加わり、作庭の意図をうかがい知ることができます。現存する数寄屋風のお屋敷とともに楽しむことができます。

  「一ノ倉邸」は、盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例(昭和46年制定)に基づき、昭和49年に保護庭園に指定されね平成4年に盛岡市が取得しました。

  夏の中尊寺ハス開花や秋の紅葉、春の「ひな遊ぶ」など四季を通じて楽しむことができます。

■ 阿部浩

 南部藩士の子息として生まれ、苦学の末に、工部省や内務省の職員を経験の後、衆議院議員として政治の道へ進みました。その後、群馬県知事、千葉県知事、富山県知事、東京府知事、貴族院議員などを歴任し、1922年(大正11年)に71歳で没しました。

■ アクセス

 開園:10:00~16時(冬期15:00) 

 休園:月火  8/10~20、12/25~1/15は休 

 〒020-0126 岩手県盛岡市安倍館19-64 019-646-1817 

 盛岡駅からバスで安部館下車から徒歩5分

 入館料 無料

一ノ倉邸庭園  

正門

右に行くと一ノ倉邸宅、正面から左にかけて庭園が広がります。

蓮池は、門を入ってほぼ正面の池泉の右側に隣接しています。

一ノ倉邸庭園の池は、今は涸れ池泉になっていますが、

蓮池には水が張られていて、季節に花を咲かせます。

蓮池

庭に入りますと、ほぼ正面の涸れ池泉の一画に

水の張られた小さな池が見えます。

月の松の脇を建物に剃って直進しますと

左手に池に降りる階段があります。

階段を降りきったところに立て看板が立っています。

蓮池

池の畔に可愛いお地蔵様が、

朱色のスカーフをかぶって立っています。

ハスは7~8月にかけて咲くそうです。

私が訪れた時は、東北地方では晩冬の時期、

昨年の葉っぱが浮かんでいるだけでした。

そかし、ここにハスがニョキニョキと生え、

咲き誇る様子を想像できます。

ここでは、中尊寺ハス(大賀ハス・古代ハス)を

見ることはできませんでしたが、

東京近郊では、千葉市の千葉公園で見ることができます。

千葉公園の大賀ハス

岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 建物と名残雛   

岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 築山泉水回遊式庭園

岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 中尊寺大賀古代ハス

岩手県の県庁所在地 盛岡市内をそぞろ歩く   

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

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  ■ カシャリ! ひとり旅



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写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

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【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています

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  1. 2023/05/27(土) 13:15:29|
  2. 【カシャリ!ひとり旅】 岩手

【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 中尊寺大賀古代ハス 築山泉水回遊式庭園

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 中尊寺大賀古代ハス 築山泉水回遊式庭園


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。



 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。



 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。



■ 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 中尊寺大賀古代ハス



 1950(昭和25)年に、中尊寺金色堂内におさめられている藤原氏の遺体4体が学術調査されました。その際、第四代泰衡の首桶から、80粒ほどハスの種が発見されました。



 当時の調査委員であった大賀一郎博士や門下の先生に、この種の栽培を依頼したところ、1993(平成5)年に発芽しました。1998(平成10)年には、開花にも成功しました。


 


 このハスは和蓮の一種で、花弁は淡い紅色、やや細身で「中尊寺ハス」と命名されました。「古代ハス」とか「大賀ハス」とも呼ばれます。



 2011(平成23)年3月に東日本大震災が発生、2012(平成24)年、犠牲者への鎮魂と復興推進のシンボルとして、極楽浄土に咲く花「中尊寺ハス」を広めることを目的とした「復興の花中尊寺ハスを広める会」(事務局:岩手県商工会議所連合会)が設立されました。


 


 この「復興の花中尊寺ハスを広める会」の株分け第1号として、2012(平成24)年、藤原氏に縁の深い安倍館町の保護庭園「一ノ倉邸」に移植されました。同年6月下旬から花芽が出始めて、7月7日に咲き始めました。爾後、毎年7月から8月にかけて開花するようになりました。


 






 


 


■ 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 築山泉水回遊式庭園


 


 「一ノ倉邸庭園」(いちのくらていていえん)は、盛岡市保護庭園の一つで、市街地北方2km強ほどの所にあります。敷地面積は約2600坪もあり、約145坪の木造平屋造、数寄屋風の建物には大小もの和室に加え、畳敷きの玄関や廊下等があり、畳数は140畳に及びます。欄間などの材料も吟味されていて、当時のしっかりした造りが伺われます。 


 明治後期に盛岡出身の貴族院議員や東京府知事を歴任した阿部浩氏の別邸として造られたお屋敷と築山泉水回遊式の庭園とで構成されています。現在は庭園に水が入っていない枯れ泉水ですが、東京から庭師を招いて造られたものです。かつては中島が3つ浮かぶ池泉式の庭園だした。


  また園内に植えられているモミジは京都の高雄から取り寄せたもので、樹齢100年以上の12種類の「イロハモミジ」が燃えるように紅葉します。これにアカマツなどの針葉樹が加わり、作庭の意図をうかがい知ることができます。現存する数寄屋風のお屋敷とともに楽しむことができます。


  「一ノ倉邸」は、盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例(昭和46年制定)に基づき、昭和49年に保護庭園に指定されね平成4年に盛岡市が取得しました。


  夏の中尊寺ハス開花や秋の紅葉、春の「ひな遊ぶ」など四季を通じて楽しむことができます。


 


■ 阿部浩


 南部藩士の子息として生まれ、苦学の末に、工部省や内務省の職員を経験の後、衆議院議員として政治の道へ進みました。その後、群馬県知事、千葉県知事、富山県知事、東京府知事、貴族院議員などを歴任し、1922年(大正11年)に71歳で没しました。


■ アクセス


 開園:10:00~16時(冬期15:00) 


 休園:月火  8/10~20、12/25~1/15は休 


 〒020-0126 岩手県盛岡市安倍館19-64 019-646-1817 


 盛岡駅からバスで安部館下車から徒歩5分


 入館料 無料


 


 



一ノ倉邸庭園  


 



正門


右に行くと一ノ倉邸宅、正面から左にかけて庭園が広がります。


 



蓮池は、門を入ってほぼ正面の池泉の右側に隣接しています。


一ノ倉邸庭園の池は、今は涸れ池泉になっていますが、


蓮池には水が張られていて、季節に花を咲かせます。


 



蓮池


庭に入りますと、ほぼ正面の涸れ池泉の一画に


水の張られた小さな池が見えます。


 



月の松の脇を建物に剃って直進しますと


左手に池に降りる階段があります。


階段を降りきったところに立て看板が立っています。


 



蓮池


池の畔に可愛いお地蔵様が、


朱色のスカーフをかぶって立っています。


ハスは7~8月にかけて咲くそうです。


私が訪れた時は、東北地方では晩冬の時期、


昨年の葉っぱが浮かんでいるだけでした。


そかし、ここにハスがニョキニョキと生え、


咲き誇る様子を想像できます。


 



 


ここでは、中尊寺ハス(大賀ハス・古代ハス)を


見ることはできませんでしたが、


東京近郊では、千葉市の千葉公園で見ることができます。


 


千葉公園の大賀ハス






 


 


岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 建物と名残雛   


岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 築山泉水回遊式庭園



岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 中尊寺大賀古代ハス



岩手県の県庁所在地 盛岡市内をそぞろ歩く   


 



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  1. 2023/04/25(火) 13:44:29|
  2. 【カシャリ!ひとり旅】 岩手

【カシャリ!ひとり旅】 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 建物と名残雛

 


  【カシャリ!ひとり旅】 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 建物と名残雛


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。


 


 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。


 


 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。


 


 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・


 


 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。


 


 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 


 


■■ 岩手県盛岡市 一ノ倉邸庭園 建物と名残雛


 


 「一ノ倉邸庭園」(いちのくらていていえん)は、盛岡市保護庭園の一つで、市街地北方2km強ほどの所にあります。敷地面積は約2600坪もあり、約145坪の木造平屋造、数寄屋風の建物には大小もの和室に加え、畳敷きの玄関や廊下等があり、畳数は140畳に及びます。欄間などの材料も吟味されていて、当時のしっかりした造りが伺われます。



 明治後期に盛岡出身の貴族院議員や東京府知事を歴任した阿部浩氏の別邸として造られたお屋敷と築山泉水回遊式の庭園とで構成されています。現在は庭園に水が入っていない枯れ泉水ですが、東京から庭師を招いて造られたものです。かつては中島が3つ浮かぶ池泉式の庭園だした。



 また園内に植えられているモミジは京都の高雄から取り寄せたもので、樹齢100年以上の12種類の「イロハモミジ」が燃えるように紅葉します。これにアカマツなどの針葉樹が加わり、作庭の意図をうかがい知ることができます。現存する数寄屋風のお屋敷とともに楽しむことができます。



 「一ノ倉邸」は、盛岡市自然環境及び歴史的環境保全条例(昭和46年制定)に基づき、昭和49年に保護庭園に指定されね平成4年に盛岡市が取得しました。



 夏の中尊寺ハス開花や秋の紅葉、春の「ひな遊ぶ」など四季を通じて楽しむことができます。


 


■ 阿部浩


 


 南部藩士の子息として生まれ、苦学の末に、工部省や内務省の職員を経験の後、衆議院議員として政治の道へ進みました。その後、群馬県知事、千葉県知事、富山県知事、東京府知事、貴族院議員などを歴任し、1922年(大正11年)に71歳で没しました。



■ アクセス

 開園:10:00~16時(冬期15:00)

 休園:月火

 8/10~20、12/25~1/15は休

 〒020-0126 岩手県盛岡市安倍館19-64 019-646-1817

 盛岡駅からバスで安部館下車から徒歩5分

 入館料 無料


 


 



 



一ノ倉邸 建物

 


 南部藩士の子息として生まれた阿部浩により、1907年(明治40年)頃から造れらました。阿部浩が50代半ばになった頃だ。木造平屋、数寄屋風の建物は面積約145坪(約480平方メートル)、大小14の和室に畳敷きの玄関、廊下などを備え、全体の畳数は約140畳あります。



 各部屋を仕切る襖の上の欄間は意匠が施されています。廊下には、10間通しの杉丸太の桁があり、建物の材料は贅を尽くし、しかし、華美にならないで品格あるように工夫されています。


 


 建築技術も最高水準のものを用いました。職人手作りであることを示す波打つ板ガラスなど、当時の建築技法の高さもうかがえます。



 建物内部には、明治期から大正期、昭和初期に至る時代を彷彿とさせる物品が展示されています。畳敷きの部屋にはグランドピアノが置かれ、大正時代のもので、鍵盤は象牙です。


 


 また、さまざまなイベントも開催されるようで、私が訪れた3月中旬には、まだ名残雛が展示されていました。


 



正門


右に行くと一ノ倉邸宅、正面から左にかけて庭園が広がります。


 



門を入って右


玄関は、右奥


 



玄関


 



玄関脇の手押し井戸


 



さまざまな物が展示されています


 



 



廊下にある10間通しの杉丸太の桁


建物の材料は贅を尽くしています。


しかし、華美にならないで品格ある造りになっています。


 



 



 



 



名残雛


 



 



 



 



大正時代のピアノ 象牙の鍵盤


 



 



玄関前には、雪が残っていました


 



扁額「独○明」


 


 


 


 


 



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  ■ カシャリ! ひとり旅



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  1. 2023/04/24(月) 13:19:16|
  2. 【カシャリ!ひとり旅】 岩手

【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県盛岡市 盛岡城址公園 内堀庭園 大規模な石垣城の南部藩不来方城

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県盛岡市 盛岡城址公園 内堀庭園 大規模な石垣城の南部藩不来方城


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。



 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。



 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。



■ 宮城県盛岡市 盛岡城址公園 内堀庭園 大規模な石垣城の南部藩不来方城 


 


 「盛岡城跡公園」(もりおかじょうあとこうえん)は、江戸時代、南部藩の城下町として栄えた南部盛岡不来方城(こずかたじょう)を公園としています。関東以北の石垣組の平城としては、最大の規模を誇っています。公園の中には、岩手県ゆかりの偉人・宮沢賢治や新渡戸稲造、石川啄木らの歌碑・詩碑、また、多くの石碑も立っています。



 安土桃山時代から江戸時代にかけて、初代から三代藩主・南部信直、利直、重直によって築城されました。当時の建造物等は残っていませんが、石垣による城郭はほぼそのままに残っています。



 本丸、二ノ丸、三ノ丸にかけて和風庭園のような飛び石、板橋、植栽や芝生広場などが整備されています。



 明治維新・廃藩置県後の1906年(明治39年)に作庭された公園で、設計者は公園デザイナーのパイオニア・長岡安平です。国指定史跡だけではなく、日本100名城のひとつでもあります。正式名称の「岩手公園」で、日本の都市公園100選、日本の歴史公園100選にも選定されています。盛岡市の所有となり、開園100周年を迎えた2006年に「盛岡城跡公園」に改称されました。



 春には多くの桜が咲きほこり、秋には紅葉も見逃せません。梅林やバラ園など四季を通じて花木を楽しめます。



 長岡安平は、秋田市の『千秋公園』設計も担当していて、和風庭園に洋風の噴水を持ち込む作風は共通しているといえます。



 公園全体が「庭園」といえますが、とりわけ「鶴ヶ池」は、日本庭園といっても差し支えない造園となっています。岩手城の内堀に石を配したりして、日本庭園の手法で造りあげています。



 桜、梅、紅葉、啄木歌碑など上記の他にも、周囲の桜山神社や盛岡市歴史文化資料館も見逃せませんし、岩手城の外堀の役割をはたす、中津川沿いの遊歩道もゆったりと歩いてみたいです。晩冬には白鳥の飛来地としても知られています。



■ アクセス

 JR東北新幹線 盛岡駅より徒歩20分弱

 盛岡駅より路線バス「県庁・市役所前」「盛岡城跡公園」バス停下車 徒歩3分

 〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1-37


 


 盛岡城址公園には、以前にも来ていますが、今回は、南昌荘庭園を巡った後で、ここを訪れることにしました。そのために、城址公園の南東側、毘沙門橋の入り口から入り、内堀庭園を北上する形となりました。


 



桜山神社による盛岡城址公園説明板


 



▼ 下が北


私が入った毘沙門橋の入り口は、左上(南東)に位置します。


 



毘沙門橋の入り口から入りますと


内堀公園の南東側から中津川に水が流れ落ちる位置になります。


この辺りは朝日谷で、


そこはまた螢の郷と呼ばれ、夏には螢が飛び交うそうです。


 



朝日谷・螢の郷を北上しますと大きな岩があります。


盛岡市内は他所にも、このような大きな岩があります。


「岩手」の語源も大岩にあるそうです。


 



その先に橋があります。橋の当たりが毘沙門清水跡です。


ここから城内(左方向)に入れます。


左方向に行きますと


二の丸から本丸に渡る朱色の「廊下橋」があるところに続きます。


 



橋の手前にも大は岩が横たわっています。


 



毘沙門清水橋から上流(北方向)を見る


 



この辺になりますと内堀の幅が広くなり庭園らしくなってきます。


昔は、水かさも多く内堀として機能していたのでしょう。


 



鶴ヶ池


さらに北上しますとお台所跡の広いところに出ます。


今は多目的広場になっていて、


私が行ったときには、メインテナンス用の石垣の石が


乾燥のために並べられていました。


 



ようやく庭園らしくなってきました。


右手の建物が「もりおか歴史文化館」です。


 



鶴ヶ池 北半分全景


 



下に下りて石橋の上から北方向を見る


 



石橋から鶴ヶ池南半分を見る


 



左:櫻山神社寺務所 右:もりおか歴史文化館


 



ここにも大きな岩がゴロゴロ


 



鶴ヶ池 最も北位置


この先、東に内堀がL字型に曲がっています


 



一番北から二番目の池


上: 一番北池


 



内堀庭園の北端池


 



北端池の中の島


 



北端池の北側から池の下方を見る


 



内堀


北端池の西側に続く


 



内堀


桜並木に囲まれる


 


 


 


盛岡3 盛岡城址公園を巡る (goo.ne.jp)



 


 


 








ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】



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  1. 2023/04/21(金) 15:05:00|
  2. 【カシャリ!ひとり旅】 岩手

【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。



 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。



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■■ 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園 池泉廻遊式の大名庭園のある国登録記念物 


 


 旧南部氏別邸庭園は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地となりました。



 明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、明治41年(1908)に南部家第43代当主南部利淳(としあつ)により、現在まで残る木造建築と庭園が整備されました。



 愛宕山に隣接する平坦な土地につくられた庭園は、3つの中島が浮かぶ広い池を中心としています。池の周囲および中島にはさまざまな意匠の燈籠類やマツ、モミジなどの樹木が配されています。



 何度かの改修がなされ、第二次世界大戦後には庭園の一部が失われてしまいましたが、江戸時代の絵図などをもとに、復元されました。江戸時代以降の東北地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例といわれています。



 現存する庭園(原設計:長岡安平)は、木造の本邸建物(設計:葛西萬司、指導:原敬)や蔵などともに南部伯爵家の別邸の附属施設として明治41(1908)年に造営されました。造営当時の庭園は、戦後に北側約5分の1が失われました。しかし、園地周囲や浮島に山灯篭・春日灯篭・銀閣寺垣を配した庭園は、旧別邸大広間からの座視鑑賞を重視した回遊式庭園といえます。面積は、約1万平方メートルと広大です。



 特徴として挙げられるのが、書院造の大広間からの座視鑑賞を重視した廻遊式庭園ということです。別邸当初は借景庭園と考えられますが、周囲の環境が変化してしまいました。 江戸時代から昭和20年代には、岩山・桜山・高洞山・名乗山・姫神山などの山が眺望できたが、現在では岩山・桜山・名乗山・姫神山・蝶が森の一部だけが眺望できるのみです。



 池泉について、下小路屋敷当時は約8000平方メートル、別邸造営時に3170平方メートルに縮小されてしまいました。



 鑓水は江戸時代から別邸当初は北東側1カ所、現在と同じ西側1カ所から取水しています。鑓水を伴う北東側の取水口は、敷地縮小により現在では井戸水のポンプアップによるそうです。



 園路は、江戸時代の絵図にみられますが、別邸前の園路は新設されたものです。中島にかかる橋は、当初は土橋、現在は反り橋(太鼓橋)に掛け替えられています。



 植栽関連は、当初は五葉松、枝垂桜、松など常緑針葉樹に、芳野桜、大盃紅葉などの落葉樹が配されていました。現在は、柿などの有用樹のほか、ヒマラヤ杉、桜、山モミジ、白樺、垂れ桂、モミなどの高木や、ツツジ、紫陽花などの80種以上の低木が追加されています。



 睡蓮は、昭和20年代以降に見られるようになりました。明治41年~昭和9年にかけて、皇族・宮家による松の植樹が行われました。そのほかに南部家の植樹もあります。



 別邸前の広場はについて、長岡安平は全国の公園や庭園の設計にあたり「遊戯場を備えることは必要条件」とし、別邸と池泉の間に広い空間を設けました。原敬も大勢があつまる園遊会などに混雑をしないように、また乗馬や馬車自動車などがふえることを考慮し、正面と玄関前に広い空間を設けるように指導しています。



 別邸庭園の設計上の特徴について、下小路屋敷の池泉などの地形と、敷地の平面系を踏襲しつつ、中島・出島の配置を見直し、廻遊性を高めています。



 しかし、昭和10(1935)年に記録した「御別邸敷地沿革及び新規造営物等の説明」(南部別邸略記)によれば、長岡の設計は規模が広大すぎ、工事費もかかるため参考にとどめるという記録があります。この長岡の設計思想を受け継ぎ、池泉の縮小などして完成されました。長岡は、桜の植樹、池泉に護岸石の採用、園路の整備、運動場の整備、公園的要素を加味するなどの配慮をしました。



 廻遊性を加味し、御座の間(和室)からの山灯籠のある滝・土橋、姫神山などの借景を第一に重視しながら、(1)謁見の間(大広間)からの庭園全体の眺望を大事にしたこと、(2)愛宕山を借景とした東側からの眺望、(3)桜山や岩山を借景とし、松と杉を背景に、手前に山モミジを配した西からの眺望、(4)南昌山などの山並みを借景に、山灯籠の乗る丘から別邸を見越した眺望が考えられます。


 


■ アクセス


 JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(市内複数箇所にレンタサイクルあり)

 JR山田線 上盛岡駅より徒歩約15分

 盛岡駅より路線バス「中央公民館前」バス停下車すぐ 盛岡駅 バス15分

 所在地: 岩手県盛岡市愛宕町267番 公民館:019-654-5366

 駐車場:   有り(無料)

 開園時間    午前9時~午後5時

 入園料     無料




【 コメント 】

 独自のウェブサイトがなく、冬期閉園などの情報がなく(あるのかもしれませんが)、注意が必要です。訪問前に確認をすることをお薦めします。


  公民館サイト


  https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009335/1009338.html


 


 冬期は、雪が積もり、雪解け後も、土が湿っているために、人がはいることが好ましくないようです。

 私は、暖冬の3月に訪れ、雪は日陰などを除いてほとんどありませんでしたが、休園でした。楽しみに訪れたので、諦めるのはあまりにも忍びなく、残念に思い、隣にある公民館に掛け合いました。

 なんと、ありがたいことに、庭園に附属する旧藩主邸の建物から庭園を見せてくれました。それだけではなく、建物の内部を案内してくださいました。池泉廻遊式庭園を廻ることはできませんでしたが、鑑賞庭園として充分に楽しめました。

 隣接する公民館の敷地内に、国指定文化財である旧中村家住宅もあります。内部は見られませんでしたが、うだつの上がった建物を拝見することができました。


 


 なお、公共交通機関を利用して訪問する場合には、本数が少ないので、事前に時刻表で確認しておくことをお薦めします。


 とりわけJR山田線は、大変に本数が少ないです。





旧南部氏別邸は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。


この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。


同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地として利用されていました。


 



左の白い建物:中央公民館 右の木造建物が旧南部家別邸


 


明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、


明治41年(1908)に木造建築と庭園が整備されました。


近代に入り、公民館として利用されていましたが、


昭和55年に中央公民館が新築されました。


現在は、建物の一部が公開され、市民の活動に利用されています。


 



建物内の大広間から庭園を見ることができます。


中央公民館の職員が、親切にもここにあけてくださり


庭園を拝見することができました。


 



池北西部半分


庭園に広がる芝の部分の雪は、かなり溶けて亡くなっています。


しかし、行くが積もっていたので水分をたくさん含み


ここを観光客が歩くと庭園が痛んでしまうそうです。


 



池 中津川寄りの半分


ここにはまだ雪が残っていました。


池は、ほぼ全面結氷していました。


 



中の島と手前の岸辺


右手には円弧を描く橋が見えます。


 



この角度からですと、円弧を描く橋がよく見えます。


橋の名前を伺うのを失念しました。


 



池泉廻遊式庭園ですので、散策路が整備されています。


この先が、円弧を描く橋のところに続きます。


 



散策路から円弧を描く橋へ


 



氷に囲まれた中の島


 



中の島


この辺りは氷が張っていません。


 



中の島の灯籠


近代的なデザインですね。


 



散策路を池の北側を廻ったところです。


小さな滝が右手に見えます。


 



池泉左手前


 



入口側から見た庭園


まだ、芝が茶色です。季節になると緑まばゆいのでしょう。


 



木の根元に石灯籠


 


 


関連写真を下記でご覧いただけます。


 


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)1 外から見学     


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部      


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)3  外から覗く庭園   


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園  


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅 


 


 



  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm


 


 



  ■ カシャリ! ひとり旅



テーマ:経営コンサルタントからのアドバイス - ジャンル:ビジネス

  1. 2023/04/20(木) 14:30:07|
  2. 【カシャリ!ひとり旅】 岩手

【カシャリ!ひとり旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部の見学 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸

 


  【カシャリ!ひとり旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部の見学 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。


 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。


 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。


 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・


 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。


 


 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 


 


■■ 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部の見学 池泉廻遊式の大名庭園のある国登録記念物 


 


 旧南部氏別邸庭園は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地となりました。



 明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、明治41年(1908)に南部家第43代当主南部利淳(としあつ)により、現在まで残る木造建築と庭園が整備されました。



 愛宕山に隣接する平坦な土地につくられた庭園は、3つの中島が浮かぶ広い池を中心としています。池の周囲および中島にはさまざまな意匠の燈籠類やマツ、モミジなどの樹木が配されています。



 何度かの改修がなされ、第二次世界大戦後には庭園の一部が失われてしまいましたが、江戸時代の絵図などをもとに、復元されました。江戸時代以降の東北地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例といわれています。



 現存する庭園(原設計:長岡安平)は、木造の本邸建物(設計:葛西萬司、指導:原敬)や蔵などともに南部伯爵家の別邸の附属施設として明治41(1908)年に造営されました。造営当時の庭園は、戦後に北側約5分の1が失われました。しかし、園地周囲や浮島に山灯篭・春日灯篭・銀閣寺垣を配した庭園は、旧別邸大広間からの座視鑑賞を重視した回遊式庭園といえます。面積は、約1万平方メートルと広大です。



 特徴として挙げられるのが、書院造の大広間からの座視鑑賞を重視した廻遊式庭園ということです。別邸当初は借景庭園と考えられますが、周囲の環境が変化してしまいました。 江戸時代から昭和20年代には、岩山・桜山・高洞山・名乗山・姫神山などの山が眺望できたが、現在では岩山・桜山・名乗山・姫神山・蝶が森の一部だけが眺望できるのみです。



 池泉について、下小路屋敷当時は約8000平方メートル、別邸造営時に3170平方メートルに縮小されてしまいました。



 鑓水は江戸時代から別邸当初は北東側1カ所、現在と同じ西側1カ所から取水しています。鑓水を伴う北東側の取水口は、敷地縮小により現在では井戸水のポンプアップによるそうです。



 園路は、江戸時代の絵図にみられますが、別邸前の園路は新設されたものです。中島にかかる橋は、当初は土橋、現在は反り橋(太鼓橋)に掛け替えられています。



 植栽関連は、当初は五葉松、枝垂桜、松など常緑針葉樹に、芳野桜、大盃紅葉などの落葉樹が配されていました。現在は、柿などの有用樹のほか、ヒマラヤ杉、桜、山モミジ、白樺、垂れ桂、モミなどの高木や、ツツジ、紫陽花などの80種以上の低木が追加されています。



 睡蓮は、昭和20年代以降に見られるようになりました。明治41年~昭和9年にかけて、皇族・宮家による松の植樹が行われました。そのほかに南部家の植樹もあります。



 別邸前の広場はについて、長岡安平は全国の公園や庭園の設計にあたり「遊戯場を備えることは必要条件」とし、別邸と池泉の間に広い空間を設けました。原敬も大勢があつまる園遊会などに混雑をしないように、また乗馬や馬車自動車などがふえることを考慮し、正面と玄関前に広い空間を設けるように指導しています。



 別邸庭園の設計上の特徴について、下小路屋敷の池泉などの地形と、敷地の平面系を踏襲しつつ、中島・出島の配置を見直し、廻遊性を高めています。



 しかし、昭和10(1935)年に記録した「御別邸敷地沿革及び新規造営物等の説明」(南部別邸略記)によれば、長岡の設計は規模が広大すぎ、工事費もかかるため参考にとどめるという記録があります。この長岡の設計思想を受け継ぎ、池泉の縮小などして完成されました。長岡は、桜の植樹、池泉に護岸石の採用、園路の整備、運動場の整備、公園的要素を加味するなどの配慮をしました。



 廻遊性を加味し、御座の間(和室)からの山灯籠のある滝・土橋、姫神山などの借景を第一に重視しながら、(1)謁見の間(大広間)からの庭園全体の眺望を大事にしたこと、(2)愛宕山を借景とした東側からの眺望、(3)桜山や岩山を借景とし、松と杉を背景に、手前に山モミジを配した西からの眺望、(4)南昌山などの山並みを借景に、山灯籠の乗る丘から別邸を見越した眺望が考えられます。


 


■ アクセス


 JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(市内複数箇所にレンタサイクルあり)

 JR山田線 上盛岡駅より徒歩約15分

 盛岡駅より路線バス「中央公民館前」バス停下車すぐ 盛岡駅 バス15分

 所在地: 岩手県盛岡市愛宕町267番 公民館:019-654-5366

 駐車場:   有り(無料)

 開園時間    午前9時~午後5時

 入園料     無料




【 コメント 】

 独自のウェブサイトがなく、冬期閉園などの情報がなく(あるのかもしれませんが)、注意が必要です。訪問前に確認をすることをお薦めします。


  公民館サイト


  https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009335/1009338.html


 


 冬期は、雪が積もり、雪解け後も、土が湿っているために、人がはいることが好ましくないようです。

 私は、暖冬の3月に訪れ、雪は日陰などを除いてほとんどありませんでしたが、休園でした。楽しみに訪れたので、諦めるのはあまりにも忍びなく、残念に思い、隣にある公民館に掛け合いました。

 なんと、ありがたいことに、庭園に附属する旧藩主邸の建物から庭園を見せてくれました。それだけではなく、建物の内部を案内してくださいました。池泉廻遊式庭園を廻ることはできませんでしたが、鑑賞庭園として充分に楽しめました。

 隣接する公民館の敷地内に、国指定文化財である旧中村家住宅もあります。内部は見られませんでしたが、うだつの上がった建物を拝見することができました。


 


 なお、公共交通機関を利用して訪問する場合には、本数が少ないので、事前に時刻表で確認しておくことをお薦めします。


 とりわけJR山田線は、大変に本数が少ないです。





旧南部氏別邸は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。


この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。


同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地として利用されていました。


 



左の白い建物:中央公民館 右の木造建物が旧南部家別邸


 


明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、


明治41年(1908)に木造建築と庭園が整備されました。


近代に入り、公民館として利用されていましたが、


昭和55年に中央公民館が新築されました。


現在は、建物の一部が公開され、市民の活動に利用されています。


 



もともとは左の方にも建物があったのですが


現在は、中央公民館となっています。


 



玄関を上がったところの部屋


 



欄間が黒枠でキリッと引き締まっています。


武田菱が着いていますので、甲斐との交流もあったのでしょう。


 



玄関横の控え室


 



アーチ型の欄間と、奥の控え室のしゃれたシャンデリア


 



 



ガラス成形技術が現代ほど出ないために


奥の控え室の窓がゆがんで見えます。


われながら、うまく撮れたと自己満足。


 



大広間に続く広廊下


左が大広間


 



大広間


係の人が襖と障子を開けてくださいました。


右の広廊下と広縁、その先が庭園


 



広い廊下


正寺の外側に広縁があり、


昔は障子がなく廊下として広く使っていた


 



広縁


上述のように広廊下とつながり、


かつては畳も敷かれ、幅広の廊下であったそうな。


 



大きな床の間


 



左右がほぼ同じ高さの違い棚


 



格子天井


玄関車寄せ天井と同様に、木目が美しい


 



大広間から日本庭園を望む


 



大広間から奥の和室を見る


 



二方を障子に囲まれた和室


 



大広間・和室裏の廊下


 


 


関連写真を下記でご覧いただけます。


 


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)1 外から見学     


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部      


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)3  外から覗く庭園   


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園  


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅 


 


 



  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm


 


 



  ■ カシャリ! ひとり旅



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  1. 2023/04/16(日) 15:05:00|
  2. 【カシャリ!ひとり旅】 岩手

【カシャリ!ひとり旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)1 池泉廻遊式の大名庭園

 


  【カシャリ!ひとり旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸庭園(盛岡中央公民館)1 池泉廻遊式の大名庭園のある国登録記念物


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。


 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。


 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。


 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・


 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。


 


 



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■■ 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸庭園(盛岡中央公民館)1 外から見学 池泉廻遊式の大名庭園のある国登録記念物 


 


 旧南部氏別邸庭園は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地となりました。



 明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、明治41年(1908)に南部家第43代当主南部利淳(としあつ)により、現在まで残る木造建築と庭園が整備されました。



 愛宕山に隣接する平坦な土地につくられた庭園は、3つの中島が浮かぶ広い池を中心としています。池の周囲および中島にはさまざまな意匠の燈籠類やマツ、モミジなどの樹木が配されています。



 何度かの改修がなされ、第二次世界大戦後には庭園の一部が失われてしまいましたが、江戸時代の絵図などをもとに、復元されました。江戸時代以降の東北地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例といわれています。



 現存する庭園(原設計:長岡安平)は、木造の本邸建物(設計:葛西萬司、指導:原敬)や蔵などともに南部伯爵家の別邸の附属施設として明治41(1908)年に造営されました。造営当時の庭園は、戦後に北側約5分の1が失われました。しかし、園地周囲や浮島に山灯篭・春日灯篭・銀閣寺垣を配した庭園は、旧別邸大広間からの座視鑑賞を重視した回遊式庭園といえます。面積は、約1万平方メートルと広大です。



 特徴として挙げられるのが、書院造の大広間からの座視鑑賞を重視した廻遊式庭園ということです。別邸当初は借景庭園と考えられますが、周囲の環境が変化してしまいました。 江戸時代から昭和20年代には、岩山・桜山・高洞山・名乗山・姫神山などの山が眺望できたが、現在では岩山・桜山・名乗山・姫神山・蝶が森の一部だけが眺望できるのみです。



 池泉について、下小路屋敷当時は約8000平方メートル、別邸造営時に3170平方メートルに縮小されてしまいました。



 鑓水は江戸時代から別邸当初は北東側1カ所、現在と同じ西側1カ所から取水しています。鑓水を伴う北東側の取水口は、敷地縮小により現在では井戸水のポンプアップによるそうです。



 園路は、江戸時代の絵図にみられますが、別邸前の園路は新設されたものです。中島にかかる橋は、当初は土橋、現在は反り橋(太鼓橋)に掛け替えられています。



 植栽関連は、当初は五葉松、枝垂桜、松など常緑針葉樹に、芳野桜、大盃紅葉などの落葉樹が配されていました。現在は、柿などの有用樹のほか、ヒマラヤ杉、桜、山モミジ、白樺、垂れ桂、モミなどの高木や、ツツジ、紫陽花などの80種以上の低木が追加されています。



 睡蓮は、昭和20年代以降に見られるようになりました。明治41年~昭和9年にかけて、皇族・宮家による松の植樹が行われました。そのほかに南部家の植樹もあります。



 別邸前の広場はについて、長岡安平は全国の公園や庭園の設計にあたり「遊戯場を備えることは必要条件」とし、別邸と池泉の間に広い空間を設けました。原敬も大勢があつまる園遊会などに混雑をしないように、また乗馬や馬車自動車などがふえることを考慮し、正面と玄関前に広い空間を設けるように指導しています。



 別邸庭園の設計上の特徴について、下小路屋敷の池泉などの地形と、敷地の平面系を踏襲しつつ、中島・出島の配置を見直し、廻遊性を高めています。



 しかし、昭和10(1935)年に記録した「御別邸敷地沿革及び新規造営物等の説明」(南部別邸略記)によれば、長岡の設計は規模が広大すぎ、工事費もかかるため参考にとどめるという記録があります。この長岡の設計思想を受け継ぎ、池泉の縮小などして完成されました。長岡は、桜の植樹、池泉に護岸石の採用、園路の整備、運動場の整備、公園的要素を加味するなどの配慮をしました。



 廻遊性を加味し、御座の間(和室)からの山灯籠のある滝・土橋、姫神山などの借景を第一に重視しながら、(1)謁見の間(大広間)からの庭園全体の眺望を大事にしたこと、(2)愛宕山を借景とした東側からの眺望、(3)桜山や岩山を借景とし、松と杉を背景に、手前に山モミジを配した西からの眺望、(4)南昌山などの山並みを借景に、山灯籠の乗る丘から別邸を見越した眺望が考えられます。


 


■ アクセス


 JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(市内複数箇所にレンタサイクルあり)

 JR山田線 上盛岡駅より徒歩約15分

 盛岡駅より路線バス「中央公民館前」バス停下車すぐ 盛岡駅 バス15分

 所在地: 岩手県盛岡市愛宕町267番 公民館:019-654-5366

 駐車場:   有り(無料)

 開園時間    午前9時~午後5時

 入園料     無料




【 コメント 】

 独自のウェブサイトがなく、冬期閉園などの情報がなく(あるのかもしれませんが)、注意が必要です。訪問前に確認をすることをお薦めします。


  公民館サイト


  https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009335/1009338.html


 


 冬期は、雪が積もり、雪解け後も、土が湿っているために、人がはいることが好ましくないようです。

 私は、暖冬の3月に訪れ、雪は日陰などを除いてほとんどありませんでしたが、休園でした。楽しみに訪れたので、諦めるのはあまりにも忍びなく、残念に思い、隣にある公民館に掛け合いました。

 なんと、ありがたいことに、庭園に附属する旧藩主邸の建物から庭園を見せてくれました。それだけではなく、建物の内部を案内してくださいました。池泉廻遊式庭園を廻ることはできませんでしたが、鑑賞庭園として充分に楽しめました。

 隣接する公民館の敷地内に、国指定文化財である旧中村家住宅もあります。内部は見られませんでしたが、うだつの上がった建物を拝見することができました。


 


 なお、公共交通機関を利用して訪問する場合には、本数が少ないので、事前に時刻表で確認しておくことをお薦めします。


 とりわけJR山田線は、大変に本数が少ないです。





旧南部氏別邸は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。


この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。


同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地として利用されていました。


 



左の白い建物:中央公民館 右の木造建物が旧南部家別邸


 


明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、


明治41年(1908)に木造建築と庭園が整備されました。


近代に入り、公民館として利用されていましたが、


昭和55年に中央公民館が新築されました。


現在は、建物の一部が公開され、市民の活動に利用されています。


 



別邸玄関


 



玄関左側は別館準備室


 



玄関の引き戸の木目が美しい


 



玄関車寄せの格子天井も見落とせません


 



玄関上がり淵の階段にも木目の美しい木材が使われています


 



中央公民館は、昭和55年に新しく建てられました


コンクリート製ですが、旧建物の雰囲気を持ったデザインです


 



公民館前に立つ旧中村家住宅


 


手前には広い駐車スペースや自転車置き場があり、


利用者の便宜を図っています


 


下記に続く <準備中>


 


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)1 外から見学     


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部      


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)3 外から覗く庭園   


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園


旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅


 


 



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  1. 2023/03/26(日) 15:59:17|
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■【カシャリ! ひとり旅】 岩手・花巻 宮沢賢治の郷 童話の溢れる街

 ■【カシャリ! ひとり旅】 岩手・花巻 宮沢賢治の郷 童話の溢れる街 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 
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 岩手・花巻  花巻温泉  

■ 花巻温泉
           https://www.hanamakionsen.co.jp/

 花巻温泉(はなまきおんせん)は、岩手県花巻市にあり、周辺の温泉と併せて花巻温泉郷と呼ばれます。

 花巻温泉は、花巻の市街から北西約8キロの段丘地に開け、西南を台川の清流が貫流しています。北上山系を望む風光雄大な景観の地です。

 桜並木や赤松林の落ち着いた雰囲気の中に、格調高い機能的な大規模ホテル4軒を含めて旅館等があります。

 宮沢賢治が設計した南斜花壇跡に立地する「花巻温泉バラ園」があります。

■ 宮沢賢治

 みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治
 1896年(明治29年)8月27日-1933年(昭和8年)9月21日

 『雨ニモマケズ』で知られる詩人であり、『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』などの童話作家でもあります。

 仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした作品は、その中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしています。「イーハトーブ(Ihatov、イーハトヴあるいはイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)」と名付けたことは広く知られています。

 彼の作品は生前ほとんど一般には知られない無名の作家といえます。没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知らしめられ、国民的作家と世評が急速に高まり、広く愛好者が存在します。

 1896年(明治29年)、岩手県稗貫郡(現・花巻市豊沢町)にて、父政次郎、母イチの長男として生まれました。花巻川口尋常高等小学校、岩手県立盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)を経たのち、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に首席で進学、特待生に選ばれ、授業料免除など、優秀でありました。

 卒業後、研究生として、稗貫郡の土性調査を行うなど郷土へ貢献しました。

 1921年(大正10年)に上京し、働きながら多くの童話を執筆しました。しかし、妹が病気となり、故郷で教師として生計を立てました。詩人の草野心平の同人誌『銅鑼』に参加して、作品を発表したり、童話の執筆を続けたりしました。

 再び上京し、セロ、タイプライター、オルガンなどだけではなく、エスペラント語をも習いましたし、高村光太郎を訪問したりしたあと、帰郷しました。

 帰郷後、体調を崩したりし、1931年には、有名な『雨ニモマケズ』を手帳に書き記しました。翌々年、急性肺炎のため、享年37で死去しました。








【カシャリ! ひとり旅】 花巻・宮沢賢治の郷 写真集

 岩手・花巻1 宮沢賢治の郷 イーハトーブ館 
 岩手・花巻2 宮沢賢治童話村・記念館
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  2. 【カシャリ!ひとり旅】 岩手

【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 盛岡5 盛岡の歴史的建造物群とその歴史

【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 盛岡5 盛岡の歴史的建造物群とその歴史

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 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

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■■ 岩手県盛岡市 

 盛岡市は、岩手県の中部に位置し、岩手県の県庁所在地です。今日では、人口30万人を擁し、岩手県内最大の都市として、政治、経済、交通の中心となっています。

 東京からは、新幹線はやぶざに乗りますと2時間強で着くことができます。





http://www.city.morioka.iwate.jp/


 岩手県の内陸部、北上盆地のほぼ中央部に位置しますが、市内中心部で、主流北上川に雫石川、中津川が合流する水の都でもあります。

■盛岡を巡る5 盛岡の歴史的建造物群

 「バエ」「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で見て、感じて、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています。

 今回は、「中津川遊歩道沿いに散策する」を紹介します。


 盛岡が生んだ偉人のひとり、新渡戸稲造の生誕の地を訪れ、北上川と合流する中津川の遊歩道にそって北上しました。

  https://youtu.be/EqCuRI2tq2g  10分


市内案内板より

 盛岡駅前バス乗り場6番線からバスに乗るか、でんでんむし号に乗って、盛岡バスセンターで下車しますと、周囲には、歴史的な建造物が建ち並んでいます。

 私は、盛岡城址公園の南側の出口から中津川遊歩道に出ました。

■ 盛岡市・紺屋町番屋

旧宣教師館


  中津川沿いの遊歩道を歩いているときに、毘沙門橋東岸に「紺屋町番屋」が修復中であることを知り、足を延ばしました。

 地図を頼りに歩いて行きますと、昔ながらの望楼(ぼうろう)が目をひく、白い建物が見えてきました。紺屋町番屋(ばんや)は、1913年(大正2)に、盛岡消防分団として建てられました。大正年間の木造洋風事務所建築の典型といわれます。

 修復中で、内部に入ることはできませんが、火の見櫓となる望楼へは、屋根裏の螺旋階段で登っていくのだそうです。そこからの眺望は如何なものでしょうか。

■ 盛岡市・旧第九十銀行(現もりおか啄木・賢治青春館)



旧第九十銀行(現もりおか啄木・賢治青春館)

 中津川遊歩道から一歩、東側に進んだところに、ベージュ色をした、クラシックなタイル貼りの建物を見つけました。花崗岩の加工仕上げと荒くカットした石積みとの組合せが風格ある造りです。旧第九十銀行で、現在は、「もりおか啄木・賢治青春館」として、石川啄木や宮沢賢治の生い立ちや作品他が展示されています。



 旧第九十銀行は、明治11年に、士族のための銀行としてスタートしました。この建物は、明治43年に建てられたものです。

 盛岡市内の銀行店舗としては、最も歴史があり、ロマネスク風の趣をかもし出しています。様式は簡略化され、内部は明治末期のデザイン潮流をしのばせています。

 適度に疲れたので、喫茶コーナーで、この店独自のブレンドコーヒーを飲んでゆったりと休憩しました。

 ここへは、盛岡駅前バス乗り場6番線から、盛岡バスセンター行か、でんでんむし号で、盛岡バスセンターで下車して、徒歩3分ほどのところにあります。
(盛岡観光サイトを参考にして)

宮沢賢治の部屋

■ 盛岡市・岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館(現岩手銀行赤レンガ館)

盛岡市・岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館(現岩手銀行赤レンガ館)

 啄木・賢治青春館から、徒歩1分ほど、盛岡バスセンター停留所からも1分ほどのと頃に赤レンガの建物があります。旧盛岡銀行・本店本館で、現在は、岩手銀行赤レンガ館と呼ばれています。

 この辺りは、盛岡市街地の中心部に位置し、中津川の中の橋と一体となって盛岡の代表的な景観を形成しています。この建物は、東京駅の設計者として知られる、盛岡市出身の葛西萬司による設計です。そのためか、外観が東京駅に似ているように見えます。

■ 盛岡市・盛岡信用金庫本店(旧盛岡貯蓄銀行)

盛岡市・盛岡信用金庫本店(旧盛岡貯蓄銀行)

 旧盛岡銀行前から、北へちょっと入った所に盛岡信用金庫本店があります。かつては、盛岡貯蓄銀行でした。


 昭和2年に建てられたもので、旧盛岡銀行と同じ、東京駅の設計者である葛西萬司が設計しました。1階から2階まで立ち上がる6本の太い円柱が、威風堂々さを醸し出しています。花崗岩に石彫りのパターンが施されています。内部からは、ステンドグラスが美しく見えるそうです。外部からも、それが重厚感を与えています。いわゆる昭和初期のモダニズムを表現しているのでしょう。

■ 盛岡市・豪商商家「ござ九」

豪商商家「ござ九」

 盛岡信用金庫本店前をさらに、100メートルほど、道なりに進みますと、左手に古い商家の建物があります。

 「ござ九」という、ござと畳、藁工芸品や荒物を扱う、1816年(文化13年)に創業した商家です。地元では「ござくさん」と呼ばれているそうです。

 現存する建物は、江戸末期から明治かけて増改築したものです。間口20間、総2階の木造建築です。豪商の面影を今に伝えています。裏には土蔵が7棟も立っていて、中津川からみた土塀は、盛岡を代表する景観といえます。

■ 盛岡市・中津川バラ園

盛岡市・中津川バラ園

 「ござ九」から、中津川にかかる中の橋の、東側たもとに、小さなバラ園があります。色とりどりのバラが、昼時で、お腹もすき、歩き疲れた私を慰めてくれました。

 今回の盛岡の旅は、とりあえず終え、次に盛岡市を訪れるときには、異なった季節にして、写真を追加してまいりたいと思っています。

【 注 】

 盛岡市の映像シリーズには、たくさんの写真が紹介されていますので、是非、下記のURLよりお楽しみください。

盛岡を巡る 4
盛岡城址公園
南部藩の拠点・盛岡城址を核にした、市民憩いの地


 「盛岡を巡る映像シリーズ」では、豊富な写真や動画を編集して、わかりやすい解説を付けて映像化しています。

 日本全国、カシャリとした写真や動画をお楽しみ下さい。

 【 注 】 ユーチューブだけではなく、ブログ・サイトでも紹介しています。

http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm

 

■ カシャリ! ひとり旅

 


テーマ:経営コンサルタントからのアドバイス - ジャンル:ビジネス

  1. 2021/10/09(土) 09:25:38|
  2. 【カシャリ!ひとり旅】 岩手

【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 盛岡4 中津川遊歩道沿いに散策する

 【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】 盛岡4 中津川遊歩道沿いに散策する

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

◇名所旧跡  ◇グロマコン ◇経営コンサルタントへの道

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■■ 岩手県盛岡 

 盛岡市は、岩手県の中部に位置し、岩手県の県庁所在地です。今日では、人口30万人を擁し、岩手県内最大の都市として、政治、経済、交通の中心となっています。

 東京からは、新幹線はやぶざに乗りますと2時間強で着くことができます。





http://www.city.morioka.iwate.jp/


 岩手県の内陸部、北上盆地のほぼ中央部に位置しますが、市内中心部で、主流北上川に雫石川、中津川が合流する水の都でもあります。

盛岡を巡る4 中津川遊歩道沿いに散策する

 「バエ」「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で見て、感じて、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています。

 今回は、「中津川遊歩道沿いに散策する」を紹介します。


 盛岡が生んだ偉人のひとり、新渡戸稲造の生誕の地を訪れ、北上川と合流する中津川の遊歩道にそって北上しました。

   https://youtu.be/EqCuRI2tq2g   上映時間: 10分


市内案内板より

 盛岡駅からはでんでんむし号で、盛岡城跡公園前で下車します。路線バスの場合は、内丸バス停での下車となります。盛岡駅からあるいても20分程度のところにありますので、気軽に寄ることができます。

■ 盛岡市・中津川


下の橋 西卵管

 盛岡城址公園の南の門をでますと、中津川の土手に出ます。

 下流の方向(右手)を見ますと「下の橋」が見えます。その下流で、中津川は、北上川と合流します。

■ 盛岡市・新渡戸稲造生誕の地




 上の橋を渡りきったところが、新渡戸稲造の生誕の地です。


 新渡戸は、江戸時代末期、1862年にこの地でうまれました。日本の代表的な教育者であり、思想家でもあります。また、農業経済学・農学の研究も行っています。


 国際連盟事務次長も務めるほどの国際通の文化人でもありました。五千円札の肖像でもおなじみです。

 新渡戸家で巡行中に休息していた明治天皇から「父祖伝来の生業を継ぎ農業に勤しむべし」という主旨の言葉をかけられました。それが契機となり、農学を志すようになり、札幌農学校の二期生として入学しました。

 当時は、クラーク博士は、すでに帰国したあとでしたが、クラークの意志をたたき込まれました。それが契機で、ジョンズ・ホプキンス大学に留学、農業にも、経済学的な発想が必要であるとを痛感し、後に札幌農学校で教鞭を執ることに繋がります。

 東京女子経済専門学校、のちの新渡戸文化短期大学の初代校長、東京女子大学初代学長をつとめるなど、教育界でも功績があります。

■ 盛岡市・瀬川正三郎像

中津川遊歩道 毘沙門橋

 新渡戸稲造の生誕の地を訪れた後、夏側に戻り、北上しました。
 毘沙門橋が見えてきました。

盛岡市・中津川・瀬川正三郎像

 毘沙門橋の対岸のたもとに、瀬川正三郎の像が見えました。望遠レンズで、やっと判読ができる距離です。

 瀬川は、1890年(明治23年)に盛岡でうまれました。京都の武術専門学校を卒業後、母校の盛岡中学校にて柔道の指導にあたるなど、この地で、柔道の普及に功績がありました。

■ 盛岡市・歌碑や石碑、銅像

 駅前大通にかかる中の橋のたもとから、中津川のたもとにある案内板を確認してから北上を続けました。

 歩き始めるとすぐに、石碑や歌碑が目に付きました。
 盛岡は、街中に石碑などを多く立っている街です。

盛岡市・市役所・笛を吹く少年

 道端には、北国らしくスズランが咲いていたり、いろいろな草木が植えてあったりします。盛岡市役所前の「笛を吹く少年」の像を見つけ、印象派画家のマネの絵を思い浮かべました。

■ 盛岡市・与の字橋と新渡戸稲造胸像

盛岡市・与の字橋

盛岡市・新渡戸稲造胸像


 先ほど渡った中の橋のひとつ上流の橋は、「与の字橋」です。
 その橋のたもとに新渡戸稲造の胸像がたっています。

盛岡市・上の橋


 さらに遊歩道を上流に向かって進んでゆきますと、上の橋が見えてきました。
 手前に小さな公園があります。


 上の橋には、クラシックな照明がついていて、その名前からも、南部藩時代の雰囲気を出そうという思いが伝わってきます。


 橋のたもとには、また、石碑がありました。

【 注 】

 盛岡市の映像シリーズには、たくさんの写真が紹介されていますので、是非、下記のURLよりお楽しみください。

盛岡を巡る 4
中津川遊歩道
市内を流れる中津川沿いには、石碑や銅像などが立つ


 「盛岡を巡る映像シリーズ」では、豊富な写真や動画を編集して、わかりやすい解説を付けて映像化しています。

 日本全国、カシャリとした写真や動画をお楽しみ下さい。

 【 注 】 ユーチューブだけではなく、ブログ・サイトでも紹介しています。

http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm

 

■ カシャリ! ひとり旅

 


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  1. 2021/10/06(水) 12:05:00|
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