経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。
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本日も、複数のブログで、つぶやき済です。
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■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。
【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。
ユーチューブで見
テーマ:経営コンサルタントからのアドバイス - ジャンル:ビジネス
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。
写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。
何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・
他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。
■■ 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸庭園(盛岡中央公民館)1 外から見学 池泉廻遊式の大名庭園のある国登録記念物
旧南部氏別邸庭園は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地となりました。
明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、明治41年(1908)に南部家第43代当主南部利淳(としあつ)により、現在まで残る木造建築と庭園が整備されました。
愛宕山に隣接する平坦な土地につくられた庭園は、3つの中島が浮かぶ広い池を中心としています。池の周囲および中島にはさまざまな意匠の燈籠類やマツ、モミジなどの樹木が配されています。
何度かの改修がなされ、第二次世界大戦後には庭園の一部が失われてしまいましたが、江戸時代の絵図などをもとに、復元されました。江戸時代以降の東北地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例といわれています。
現存する庭園(原設計:長岡安平)は、木造の本邸建物(設計:葛西萬司、指導:原敬)や蔵などともに南部伯爵家の別邸の附属施設として明治41(1908)年に造営されました。造営当時の庭園は、戦後に北側約5分の1が失われました。しかし、園地周囲や浮島に山灯篭・春日灯篭・銀閣寺垣を配した庭園は、旧別邸大広間からの座視鑑賞を重視した回遊式庭園といえます。面積は、約1万平方メートルと広大です。
特徴として挙げられるのが、書院造の大広間からの座視鑑賞を重視した廻遊式庭園ということです。別邸当初は借景庭園と考えられますが、周囲の環境が変化してしまいました。 江戸時代から昭和20年代には、岩山・桜山・高洞山・名乗山・姫神山などの山が眺望できたが、現在では岩山・桜山・名乗山・姫神山・蝶が森の一部だけが眺望できるのみです。
池泉について、下小路屋敷当時は約8000平方メートル、別邸造営時に3170平方メートルに縮小されてしまいました。
鑓水は江戸時代から別邸当初は北東側1カ所、現在と同じ西側1カ所から取水しています。鑓水を伴う北東側の取水口は、敷地縮小により現在では井戸水のポンプアップによるそうです。
園路は、江戸時代の絵図にみられますが、別邸前の園路は新設されたものです。中島にかかる橋は、当初は土橋、現在は反り橋(太鼓橋)に掛け替えられています。
植栽関連は、当初は五葉松、枝垂桜、松など常緑針葉樹に、芳野桜、大盃紅葉などの落葉樹が配されていました。現在は、柿などの有用樹のほか、ヒマラヤ杉、桜、山モミジ、白樺、垂れ桂、モミなどの高木や、ツツジ、紫陽花などの80種以上の低木が追加されています。
睡蓮は、昭和20年代以降に見られるようになりました。明治41年~昭和9年にかけて、皇族・宮家による松の植樹が行われました。そのほかに南部家の植樹もあります。
別邸前の広場はについて、長岡安平は全国の公園や庭園の設計にあたり「遊戯場を備えることは必要条件」とし、別邸と池泉の間に広い空間を設けました。原敬も大勢があつまる園遊会などに混雑をしないように、また乗馬や馬車自動車などがふえることを考慮し、正面と玄関前に広い空間を設けるように指導しています。
別邸庭園の設計上の特徴について、下小路屋敷の池泉などの地形と、敷地の平面系を踏襲しつつ、中島・出島の配置を見直し、廻遊性を高めています。
しかし、昭和10(1935)年に記録した「御別邸敷地沿革及び新規造営物等の説明」(南部別邸略記)によれば、長岡の設計は規模が広大すぎ、工事費もかかるため参考にとどめるという記録があります。この長岡の設計思想を受け継ぎ、池泉の縮小などして完成されました。長岡は、桜の植樹、池泉に護岸石の採用、園路の整備、運動場の整備、公園的要素を加味するなどの配慮をしました。
廻遊性を加味し、御座の間(和室)からの山灯籠のある滝・土橋、姫神山などの借景を第一に重視しながら、(1)謁見の間(大広間)からの庭園全体の眺望を大事にしたこと、(2)愛宕山を借景とした東側からの眺望、(3)桜山や岩山を借景とし、松と杉を背景に、手前に山モミジを配した西からの眺望、(4)南昌山などの山並みを借景に、山灯籠の乗る丘から別邸を見越した眺望が考えられます。
■ アクセス
JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(市内複数箇所にレンタサイクルあり)
JR山田線 上盛岡駅より徒歩約15分
盛岡駅より路線バス「中央公民館前」バス停下車すぐ 盛岡駅 バス15分
所在地: 岩手県盛岡市愛宕町267番 公民館:019-654-5366
駐車場: 有り(無料)
開園時間 午前9時~午後5時
入園料 無料
【 コメント 】
独自のウェブサイトがなく、冬期閉園などの情報がなく(あるのかもしれませんが)、注意が必要です。訪問前に確認をすることをお薦めします。
公民館サイト
https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009335/1009338.html
冬期は、雪が積もり、雪解け後も、土が湿っているために、人がはいることが好ましくないようです。
私は、暖冬の3月に訪れ、雪は日陰などを除いてほとんどありませんでしたが、休園でした。楽しみに訪れたので、諦めるのはあまりにも忍びなく、残念に思い、隣にある公民館に掛け合いました。
なんと、ありがたいことに、庭園に附属する旧藩主邸の建物から庭園を見せてくれました。それだけではなく、建物の内部を案内してくださいました。池泉廻遊式庭園を廻ることはできませんでしたが、鑑賞庭園として充分に楽しめました。
隣接する公民館の敷地内に、国指定文化財である旧中村家住宅もあります。内部は見られませんでしたが、うだつの上がった建物を拝見することができました。
なお、公共交通機関を利用して訪問する場合には、本数が少ないので、事前に時刻表で確認しておくことをお薦めします。
とりわけJR山田線は、大変に本数が少ないです。
旧南部氏別邸は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。
この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。
同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地として利用されていました。
左の白い建物:中央公民館 右の木造建物が旧南部家別邸
明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、
明治41年(1908)に木造建築と庭園が整備されました。
近代に入り、公民館として利用されていましたが、
昭和55年に中央公民館が新築されました。
現在は、建物の一部が公開され、市民の活動に利用されています。
別邸玄関
玄関左側は別館準備室
玄関の引き戸の木目が美しい
玄関車寄せの格子天井も見落とせません
玄関上がり淵の階段にも木目の美しい木材が使われています
中央公民館は、昭和55年に新しく建てられました
コンクリート製ですが、旧建物の雰囲気を持ったデザインです
公民館前に立つ旧中村家住宅
手前には広い駐車スペースや自転車置き場があり、
利用者の便宜を図っています
下記に続く <準備中>
旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)1 外から見学
旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部
旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)3 外から覗く庭園
旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園
旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅
リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm
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若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。
写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。
何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・
他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。
■ 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 2-1 主庭園池泉部
「齋藤氏庭園」(さいとうしていえん)は、宮城県石巻市前谷地にあります。“東北三大地主”のひとつとして挙げられ、9代当主により明治時代に作庭された池泉回遊式庭園で、国指定名勝(平成17年7月14日 )でもあります。邸宅から背後の丘陵地まで、一体感のある空間は見る者を圧倒します。
園内は、大きく4つのエリア(除受付・駐車場)に分けることができます。
1 宝ケ峰縄文記念館エリア
2 主庭園エリア
3 奥池エリア
4 東池エリア
斎藤氏は、秋田県の池田市酒田の本間氏と並び近代における東北三大地主と言われています。江戸時代、二代目善兵衛の時に酒造業を始め、9代目善右衛門の時に酒造業を辞め、莫大な資産を背景に会社を設立して社長となり、衆議院議員を勤めました。
齋藤氏庭園は、複数の池泉回遊式庭園でなり、国の名勝に指定された美しい庭園で、近代庭園として学術上も高く評価されています。園内には茅葺き屋根、一部は江戸時代から残る土蔵などの外観を見学でき、たくさんの建物や石灯籠等があります。
齋藤氏庭園内にある宝ヶ峰遺跡に関わる縄文記念館には、遺跡から発掘された縄文時代後期の土器や矢尻などが保存展示されています。
アクセス
JR石巻線 前谷地駅より徒歩10分
三陸道矢本ICから車で約15分、石巻河南ICから車で約15分
〒987-1101 宮城県石巻市前谷地字黒沢73-1
開園時間
4月1日から11月30日まで 9時30分から16時30分まで
12月1日から翌年の3月31日まで 9時30分から16時まで
休園日
月曜日(注)休日を除く、休日の翌日、12月28日から翌年1月4日まで
観覧料
個人 一般:500円 高校生:300円 小・中学生 :150円(団体割引あり)
斉藤氏庭園は、宮城県石巻市前谷地に位置します。
一般的には、仙台駅から東北本線で小牛田(こごた)まで50分弱、北上し
JR石巻線に乗り換え、20分ほどのところにある前谷地駅で下車します。
前谷地駅から南東方向に徒歩10分ほどのところにあります。
庭園全景(園内表示板より)(北:▼)
主庭園は❻❼前を中心としたエリア
宝ケ峰縄文記念館エリア
受付を通って右手
左:中門 右:木小屋・宝ヶ峰縄文記念館
反対側(左手後方)が、主庭園エリア
主庭園エリアへの入り口
正面のかやぶき屋根の建物が「広間」
かつては小座敷として利用
この建物の二方が主庭園エリア
主庭園エリアへ
前土蔵前の池
奥池に繋がる
前土蔵前から見る主庭園
左手に奥池、右奥が主庭園に附属する小池
主庭園
左:前土蔵 右:広間
主庭園 正面:広間
主池に懸かる石橋
主池右手から見る広間
主屋側から見る前土蔵
ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】
写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。
静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm
【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています
■ アクセス
リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm
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平素は、ご愛読をありがとうございます。
経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。
■ 省エネ技術が進んで来ていますね 0325
2010年東日本大震災の時には、計画停電が実施されました。
その時には、日本国中が省エネ努力をしたと思います。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
あの時の必死さは、薄らいできているように思えます。
われわれの世代では、停電をしばしば経験していますので、電気をこまめに切るというのは身に染みついています。
ところがそうでもない年配者が結構いるのですね。
ある会社に週末訪れたときに、お休みですので社長さん以外は誰もいません。
その誰もいない部屋にも電気が点きっぱなしでした。
私に対する配慮から点けたままにして下さっていたのでしょうが、「もったいない」という思いが強いです。
近年は、技術進歩で、人感センサー付きの電灯が普及してきています。
人がいなくなれば自動的に電気が消えます。
電気を食うといわれる冷蔵庫にしろ、エアコンにしろ、省エネ技術のおかげで、なんと一般家庭の電気使用量は減ってきているそうです。
電気料金は、電力会社の利益が出るように勝手に変更できる法律になっていますので、下がっていないのが現状かもしれませんね。
(ドアノブ)
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本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 真盛上人
しんせい
嘉吉3年1月28日(1443年2月27日) - 明応4年2月30日(1495年3月26日)
諡号は円戒国師・慈摂大師
戦国時代の天台宗の僧で、伊勢に生まれました。天台宗真盛派(現在の天台真盛宗)の宗祖です。
一四歳で剃髪し、幼名から「眞盛」と名を改めました。
比叡山西塔の慶秀に師事し、天台宗の教学を20余年にわたって学びました。その後、黒谷青龍寺に隠遁し、「往生要集」に拠り称名念仏を唱えました。戒律と称名念仏の一致、無欲と慈悲などを説きました。
かつて良源や源信などが住み、円観が円頓戒の本寺としたこともある近江国坂本の西教寺を再興して、天台宗真盛派の本寺としました。
近江・伊勢・越前を巡錫(じゅんしゃく)し、後土御門帝に円頓戒を授け「円戒国師」の号を下賜されました。また、明治天皇より「慈摂大師」の号も賜っています。
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